父親がらみの泣ける話です。
俺の母親は、俺が2歳の時にがんで死んだそうだ。
まだ物心つく前のことだから、当時はあまり寂しいなんていう感情もあまりわかなかった。
この手の話でよくあるような、「母親がいない事を理由にいじめられる」なんて事も全然なくて、
良い友達に恵まれて、それなりに充実した少年時代だったと思う。
こんな風に片親なのに人並み以上に楽しく毎日を送れていたのは、
やはり他ならぬ父の頑張りがあったからだと今も思う。
あれは俺が小学校に入学してすぐにあった、父母同伴の遠足から帰ってきたときのこと。
父は仕事で忙しいことがわかっていたので、一緒に来られないことを憎んだりはしなかった。
一人お弁当を食べる俺を、友達のY君とそのお母さんが一緒に食べようって誘ってくれて、寂しくもなかった。
でもなんとなく、Y君のお弁当に入っていた星形のにんじんがなぜだかとっても羨ましくなって、
その日仕事から帰ったばかりの父に「僕のお弁当のにんじんも星の形がいい」ってお願いしたんだ。
当時の俺はガキなりにも母親がいないという家庭環境に気を使ったりしてて、
「何でうちにはお母さんがいないの」なんてことも父には一度だって聞いたことがなかった。
星の形のにんじんだって、ただ単純にかっこいいからって、羨ましかっただけだったんだ。
でも父にはそれが、母親がいない俺が一生懸命文句を言っているみたいに見えて、とても悲しかったらしい。
突然俺をかき抱いて「ごめんな、ごめんな」って言ってわんわん泣いたんだ。
いつも厳しくって、何かいたずらをしようものなら遠慮なくゲンコツを落としてきた父の泣き顔を見たのはそれがはじめて。
同時に何で親父が泣いてるかわかっちゃって、俺も悲しくなって台所で男二人抱き合ってわんわん泣いたっけ。
それからというもの、俺の弁当に入ってるにんじんは、ずっと星の形をしてた。
高校になってもそれは続いて、いい加減恥ずかしくなってきて「もういいよ」なんて俺が言っても、
「お前だってそれを見るたび恥ずかしい過去を思い出せるだろ」って冗談めかして笑ったっけ。
そんな父も、今年結婚をした。相手は俺が羨ましくなるくらい気立てのいい女性だ。
結婚式のスピーチの時、俺が「星の形のにんじん」の話をしたとき、親父は人前だってのに、またわんわん泣いた。
でもそんな親父よりも、再婚相手の女の人のほうがもらい泣きしてもっとわんわん泣いてたっけ。
良い相手を見つけられて、ほんとうに良かったね。
心からおめでとう。そしてありがとう、お父さん。
ある男は夜遅くに疲労と苛立ちを持って帰宅すると、五歳の息子が玄関口で父親を待っているのを見つけた。
「お父さん、僕はお父さんに質問してもいい?」
「そりゃいいが、どういうことだ?」と男は答えた。
「お父さんは、一時間いくらで働いているの?」
「お前には関係のないことだ!何故そんなことを聞くのか? 」 その男は怒って言った。
「ただ知りたいだけだよ。おとうさんは一時間いくらで働いているのか、どうか教えて。」と息子は聞いた。
「知らなければならないなら言おう。1時間に20ドルを稼ぐ。」
「ああ、」少年は答え、頭を垂れた。再び父親を見上げると、彼は言った、 「パパ、僕、10ドル借りてもいい?」
父は怒っていた。
「もしお前がどれだけのお金をおとうさんが稼ぐのか知りたい理由が、馬鹿げたおもちゃや、他のいろんなくだらない物を買うためであれば、お前は自分の部屋へまっすぐに行き、寝ることだ。なぜお前がとても自分のことばかり考えるのか、よおく考えてみなさい。おとうさんは毎日辛く長い時間仕事しているんだ、だからそんな子供っぽい馬鹿げたことなどする暇はないんだ。」
小さな男の子は静かに部屋に行ってドアを閉めた。
男は座って、小さな息子の質問についてさらに腹を立て始めた。いくらかのお金のために、あんな質問をしたなんて。
1時間ほどして、男は落ち着いて、彼が息子に少し強く言い過ぎでいたかもしれないと考え始めた。もしかしたら、本当に10ドルで買わなければならない必要なことがあったのかもしれないし、そしてあの子は、実は今まで頻繁にお金をせびったことはなかった。男は小さな息子の部屋に行き、ドアを開けた。
「眠っているかい?」と彼は尋ねた
「いいえ、パパ、僕は起きているよ。」と少年は答えた。
「考えていたんだが、さっきおそらくちょっとお前に言い過ぎたと思う。」と 男は言った。
「長い一日だったので、その怒りをお前にぶつけてしまった。ほら、お前が欲しい10ドル、あるよ。」
小さな男の子は起き上がり、まっすぐに座り、輝くように言った。 「わあ、お父さんありがとう!」と彼は叫んだ。そして、枕の下に手を伸ばし、しわしわになった紙幣を引き出した。少年がすでにいくらかお金を持っていたのを見た男は再び怒りを感じた。
少年はゆっくりと自分のお金を数え、その男を見上げた。
「そのお金があるのに、何故お前は、もっとお金を欲しかったのかね?」と 父親は不機嫌に言った。
「十分じゃなかったから。でも今全部で20ドルあるでしょう。パパの1時間これで買えるかな? 明日早く家に帰ってほしいんだ。僕はパパと一緒に夕ごはんを食べたいんだ。」
父親は打ちひしがれ、自分の息子に腕をまわした。
4歳になる娘が、字を教えてほしいといってきたので、
どうせすぐ飽きるだろうと思いつつも、毎晩教えていた。
ある日、娘の通っている保育園の先生から電話があった。
「○○ちゃんから、神様に手紙を届けてほしいって言われたんです」
こっそりと中を読んでみたら、
「いいこにするので、ぱぱをかえしてください。おねがいします」
と書いてあったそうだ。
旦那は去年、交通事故で他界した。
字を覚えたかったのは、神様に手紙を書くためだったんだ・・・
受話器を持ったまま、私も先生も泣いてしまった。
「もう少ししたら、パパ戻って来るんだよ~」
最近、娘が明るい声を出す意味がこれでやっとつながった。
娘の心と、写真にしか残っていない旦那を思って涙が止まらない。
俺が小さい頃に撮った家族写真が一枚ある。
見た目普通の写真なんだけど、実はその時父が難病(失念)を宣告されていて
それほど持たないだろうと言われ、入院前に今生最後の写真はせめて家族と・・・と撮った
写真らしかった。俺と妹はまだそれを理解できずに無邪気に笑って写っているんだが、
母と祖父、祖母は心なしか固いというか思い詰めた表情で写っている。
当の父はというと、どっしりと腹をくくったと言う感じで、とても穏やかな表情だった。
母がその写真を病床の父に持って行ったんだが、その写真を見せられた父は
特に興味も示さない様子で「その辺に置いといてくれ、気が向いたら見るから」と
ぶっきらぼうだったらしい。母も、それが父にとって最後の写真と言う事で、
見たがらないものをあまり 無理強いするのもよくないと思って、
そのままベッドのそばに適当にしまっておいた。
しばらくして父が逝き、病院から荷物を引き揚げる時に改めて見つけたその写真は、
まるで大昔からあったようなボロボロさで、家族が写っている部分には
父の指紋がびっしり付いていた。
普段もとても物静かで、宣告された時も見た目普段と変わらずに平常だった父だが、
人目のない時、病床でこの写真をどういう気持ちで見ていたんだろうか。
今、お盆になると、その写真を見ながら父の思い出話に華が咲く。
祖父、祖母、母、妹、俺・・・。
その写真の裏側には、もう文字もあまり書けない状態で一生懸命書いたのだろう、
崩れた文字ながら、「本当にありがとう」とサインペンで書いてあった。